支援企業・団体の声
トヨタ自動車株式会社
2024.11.08
「パリ・パラリンピック」でメダル獲得を成し遂げた、クルマ技術者とパラアスリートの共同プロジェクトとは?
車いすマラソンの鈴木朋樹選手、車いすテニスの三木拓也選手、やり投の高橋峻也選手、そして視覚障害者柔道の半谷静香選手と、トヨタ自動車株式会社および特例子会社(トヨタループス)所属のパラアスリート4人が出場した2024年夏の「パリ・パラリンピック」。三木選手(ダブルス)と半谷選手が銀メダル、鈴木選手が銅メダルを獲得し、高橋選手も6位入賞と、全員が好成績を残しました。
この躍進はアスリートの努力や頑張りに加えて、所属企業の支援体制があってこそだと言えるでしょう。では、具体的にどのような形でパラアスリートをサポートしているのでしょうか。トヨタ自動車のスポーツ事業を管轄するトヨタスポーツ推進部 企業スポーツ室 スポーツアセットグループ長の桑原大輔さんに話を聞きました。
どんな時でも運動部は残す
日本企業の多くがスポーツに力を入れるようになったのは、1964年に開催された「東京オリンピック」がきっかけだと言われています。それに対して、トヨタのスポーツへの取組はかなり早く、1937年には本業である自動車部とともに、運動部(陸上部)が発足しました。現在は硬式野球部、女子ソフトボール部、女子バスケットボール部、スケート部、陸上長距離部、ビーチバレーボール部、ラグビー部という7つの強化運動部と、約25の一般運動部のほか、個人アスリートなどが活動しています。
企業の運動部というと、会社の景気に左右されることが常。しかし、トヨタはスポーツが持つ価値や可能性を尊重しているため、廃部・休部になるということはありませんでした。かつては自身も硬式野球部の監督を務めていた桑原さんは次のように説明します。
「例えば、リーマンショックや東日本大震災など、会社として苦しんだ時期はこれまでに何度もありましたが、その時も豊田章男社長(当時)などがスポーツをやめるのではなく、一緒に困難を乗り切ろうと、それが職場を盛り上げるのだと言ってくれました」
運動部を守ることの大切さを象徴するのが、リーマンショック後の2010年、女子ソフトボール部が「全日本総合女子ソフトボール選手権」と「日本女子ソフトボールリーグ」でダブル優勝を果たしたことでしょう。その時は豊田会長をはじめ、数多くの社員が歓喜に沸きました。そして、女子ソフトボール部に続くように、硬式野球部も2010年に「日本選手権」で優勝。2011年には陸上長距離部が「ニューイヤー駅伝」で優勝を飾ったのです。
採用基準は「人間力」
長い歴史を通して、企業スポーツに対して先進的だったトヨタが、オリンピックやパラリンピックに注力するのは当然の流れでしょう。
とりわけ「東京2020オリンピック・パラリンピック」では、開催の数年前には社内で「オリパラ部」を立ち上げ、40人前後の社員が選手たちのサポートをはじめ、さまざまな準備を進めていきました。
東京大会終了後、この部は解散となりましたが、今回のパリ大会では、桑原さんの在籍するトヨタスポーツ推進部のほか、ヨーロッパのグループ企業や支社などの社員が現地で選手の支援活動に関わりました。
トヨタ自動車には8人(7月時点)のパラアスリートがいます。契約形態はさまざまで、正社員雇用もあれば、特例子会社での採用もあります。ただし、すべてに共通するのは、選手一人一人が最大限のパフォーマンスを発揮できるよう、練習環境などをしっかりと整備することに努めている点です。従って、選手側からの要望もできる限り聞くようにしています。
「当然コーチがいるので、練習内容については僕らが何も言うことはありません。でも、例えば、雨が降ってグラウンドでトレーニングができない時、高橋くん(パラ陸上競技(やり投)の高橋峻也選手)とかは『野球部の室内練習場を貸してもらえないですか』などとよく連絡してきますね」と桑原さんは話します。
誰もが羨むような、競技に集中できる環境が用意されているため、トヨタに所属したいと考えるパラアスリートは多いはず。どのような基準で契約しているのでしょうか。
「一言で表すと人間力です。トヨタのフィロソフィーに照らし合わせて判断しています。アスリートなのでスポーツに打ち込むのは当然ですが、一方でしっかりと会社に貢献する意識も持っていないと、職場の人たちから応援してもらえません。そのあたりは見ていますね」
ただし、この基準はパラアスリートに限った話ではなく一般の社員も同じ。トヨタの理念や哲学に合い通ずるものがなければ入社は叶わないでしょう。
そのような経緯でトヨタの門をくぐってきたパラアスリートは、社内にも好影響をもたらしています。ハンディを背負っていても成果を出している姿を間近で見て、自分も頑張ろうと思う社員は多いそうです。そして何よりも、パラリンピックのような世界最高峰の舞台で戦う同僚を全員で応援することは、一体感の醸成など非常に良い効果を職場にもたらしています。
パラスポーツを知るきっかけ作りが必要
パラアスリートの存在価値の波及効果は社内だけにとどまりません。トヨタの本社周辺の子どもたちにも広がっています。
「地域貢献活動の一環として、豊田市とみよし市の小学校30校ほどで当社のパラアスリートが講演を行っています。そこでは『目が悪い人は補うために眼鏡をするよね。義足などもそれと一緒。だから僕ら(パラアスリート)と皆もそんなに変わらず同じだよ』といった話をしてくれています。すると、子どもたちも今までは障害者をかわいそうだと思っていたけど、そうではないのだ、むしろパラアスリートの人たちはすごいのだと考え方が変わってきているようです」と桑原さんは述べます。
実はこのような地域貢献活動を始めたのは、パラアスリートからの要望があったからです。
「彼ら、彼女らはよくきっかけ作りが必要だと語っています。まずはパラスポーツを知ってもらい、こんな競技があるとか、こうやって頑張っている人たちがいるとかを認知することが大切。そうすることで少しずつパラスポーツに対する世の中の理解も広がっていくはずだと。実際、うちのパラアスリートたちも誰かに出会い、パラスポーツを知ったことで未来を作ることができたわけですから」
技術者とアスリートの新たな挑戦
パラアスリートとトヨタ。この組み合わせによってもたらされた最大の成果が「用具開発」でしょう。具体的には、クルマ作りのプロフェッショナル集団であるトヨタの技術者たちが知恵と経験を結集させて、競技用の車いすを車いすメーカーと協力して開発しました。
とはいえ、トヨタにとってもスポーツ用具を作り上げるのは初めてのこと。試行錯誤を重ねながら開発プロジェクトは進められました。
「苦労はたくさんあったようです。選手と技術者とのちょっとした感覚のズレを埋めるために、何度も話し合っていました」と桑原さんは振り返ります。打ち合わせの場には、車いすマラソンの鈴木選手もほぼすべて参加し、お互いに納得いくまで議論を深めました。
用具開発のプロジェクトに携わった技術者たちは当然、通常の業務があります。そうした中から時間を捻出していたわけですが、この新しい挑戦は技術者たちにも大きな意義がありました。
「人材育成につながる部分が大きかったようです。管理者として当然ベテランの社員も入りますが、若手の技術者が中心になって開発する機会ができました。さらに、いろいろな部署から、それぞれの専門家が集まってくるので横のつながりもできます。皆で話し合いながら、クルマ以外のモノ作りをすることで生まれる高揚感は特別な体験でした」
初めてのチャレンジに悪戦苦闘したものの、そこはモノづくりのプロフェッショナルの真骨頂。失敗の原因を究明して、また次に生かす。まさにそうしたトヨタのフィロソフィーがパリ・パラリンピックで花開きました。鈴木選手は見事、銅メダルを獲得。その瞬間、テレビ越しに応援していた技術者たちは感極まり、号泣したそうです。
1937年、トヨタの創業者である豊田喜一郎氏が運動部を立ち上げたのは、もっとよくするために決してあきらめない「ネバーギブアップ」の精神。そして、仲間のため、自分以外の誰かのために戦う「フォア・ザ・チーム」の精神を伝えることが根底にあったといいます。
それから80年以上経った今もこのスピリッツはトヨタのアスリートに植え付けられています。そしてまた、用具開発で選手たちを支える技術者や、応援する多くの社員たちにも……。それを胸に4年後の米国・ロサンゼルス大会も、全社一丸となって立ち向かうことでしょう。
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