今月のゲストは山田拓朗選手。26歳ながらパラリンピック4大会連続出場の実績をほこるパラ水泳界屈指のスプリンターに、守屋光治が東京への知られざる思いを聞いてきた!
「山田選手のように長く第一線で活躍する秘けつとは」(守屋)
「自然に身を任せつつも、最終目標だけはブレさせないこと」(山田)
守屋 僕は昔、プールで溺れて水泳をやめてしまったのですが…山田選手はどのように水泳と出会い、上達していったのですか?
山田 僕も最初は怖がってプールサイドから動かなかったらしいです(笑)。片腕がないことも子どもなりに苦労はしたのでしょうけれど、水に慣れて、練習を重ねていく中で、自然とまっすぐ泳げるようになっていった感覚はあります。
守屋 他競技の経験もあるのでしょうか。
山田 サッカーをやってたことはありますが、ぶつかったりするのが好きではなく(笑)、性格的に合わなかったようで。今思えば、自分としてはサッカーは上達しているのかどうかがわかりにくかった。水泳は進級という形で明確に上達具合がわかり、ステップアップしていく過程が楽しかったんです。
守屋 初めてパラリンピックを意識したのは?
山田 パラリンピックを知ったのは2000年のシドニー大会。当時所属していたチームの先輩がメダルを取ったのですが、本物を見せてもらってすごくかっこいいなって。速くなりたいという気持ちが強くなりました。
守屋 そして次のアテネに13歳で出場!
山田 中1だったのでまだまだ世界に通用するとは思えなかったですが、純粋に代表に選んでもらえたという喜びは大きかったですね。
守屋 その後北京、ロンドンにも出場されて、リオでは銅メダル。出場すれば5回目となる2020年の東京に向けてはどんな思いが?
山田 年齢的にも、いいコンディションで臨める最後のパラリンピックかなと。だから自分の中で完全にやり切ったと思えるパフォーマンスを出したいと思います。アテネの予選落ちから始まり、北京5位、ロンドン4位、リオ3位。順番でいくと次は2位ですが(笑)、そこはひとつ飛ばして、東京で決めるぞ、と思っています。
山田拓朗さん
やまだ・たくろう●1991年4月12日、兵庫県出身。生まれつき左腕のひじから先がない先天性前腕亡失。3歳から水泳を始め、2004年アテネパラリンピックに日本人選手史上最年少の13歳で出場。その後も08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと4大会連続でパラリンピックに出場し、リオでは50m自由形で銅メダルを獲得。筑波大学を経て、14年からNTTドコモに所属。
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Photos:Teppei Hoshida
Composition & Text:Kai Tokuhara
Cooperation:Rikkyo University