背番号を“0”にした理由は、いつも何でも“0”から始めることが好きだからです!
小さい頃からタップ、バレエ、モダン、ジャズ、ストリート、アフリカンなどのダンスや、体操、日本舞踊なんかもやってました。そしてバレーボール部でした!
パラスポーツは私もぶっちゃけ最近観だしたんですけど、観ててすごく興味があったし、普通に凄いと思いました!そんな素晴らしいものをたくさんの人にも知ってもらいたいと思っています!!
競技者として指導者としても多くの方にパラスポーツ(ゴールボール)を知ってもらえるように頑張ります!レガシーを残していく為にも、学生の皆様へ講演会や競技を通じて伝えていきます。
日本時間の2013年9月8日、東京の会場で、多くの関係者の皆さんと、
東京2020大会の決まった瞬間を迎えた日から背番号を選びました。
パラスポーツでは、特にブラインドサッカーや車いすテニスに興味があります。
また、車いす用の競技グローブのゴムの開発が進むなど、
用具や競技環境が変わってきていることにも注目しています。
パラアスリートが力をふるって戦っている姿とその言葉を伝えていきたいなと思っています。
2020はゴールではなくスタート。オリパラきっかけの「 まぜこぜの社会 」ダイバーシティは、ここからが大事なので、背番号を『2021』にしました。
2016年は、リオ閉会式の「根拠のない同情を誇りに変えた」という言葉に感動。東京への引き継ぎの、障がいという「個性」を生かしたアーティストの皆さんのパフォーマンスも素晴らしかった。こうした晴れの舞台だけでなく、日常的に活躍を拝見したいと思いました。
2020はゴールではなくスタート。
東京パラリンピックをきっかけに、「 まぜこぜの社会 (ダイバーシティ・多様性社会 )」の居心地の良さを、広くシェアしていけるといいなあと思います。
123番は、私が小学校1年生の時、地元のサッカーチームで初めてつけた背番号です。私は生まれつき両上肢に障害がありますが、健常者と一緒にサッカーを楽しんできました。サッカーを通じて、沢山の仲間に恵まれ、一つのことを一生懸命やってきたことは自信にも繋がりました。現在は、パラテコンドー選手として東京2020パラリンピックに向けて日々鍛錬しています。パラテコンドーは東京2020パラリンピックからの新種目競技であり、自身の身体能力だけを活かし、フルコンタクトで蹴り合う姿は迫力満点です。是非注目してみてください!最後に、私はスポーツを通じて、障害を持つ人達(とくに子供達)に、一つでもいいから夢中になれることを見つけ、とことん楽しむことで、人生がより前向きになることを発信していきたいです。
スポーツ最高!
わたしの好きな数字、ラッキーナンバーが3なのです。33は向きを変えると無限の文字になるのでこの数字にしました。
1964年の東京パラリンピックに出場された方のお話をうかがったときに「できないことに目を向けてしまうのではなく、自分の得意なものを広げていく」という姿勢を大切にしていると教えていただきました。そこで、自分自身の考え方も変わりました。
このプロジェクトを通じて、特別なことはなにもなくて前を向いて一歩一歩進んでいけば自分の力になる、ということを伝えていけたらなと思っています。
自分の誕生月が7月なのと、7はラッキーセブンだから背番号は7にしました。
水泳は個人戦なので、いざ試合本番を迎える時は必ず一人です。
そのため少しでも不安があると、うまくいかなかったりするので、本番に自信を持って臨めるように練習を頑張っています。
パラスポーツの選手も日々辛い練習に臨んでいると思いますが、選手それぞれが抱える色々な課題を乗り越えたときに与えられる幸せは一緒なのかなと思います。
背番号は1817にしました。家族全員体を動かすことが大好きで、皆でパラスポーツを応援しよう、ということで、家族全員の誕生日を組み合わせた数字にしました。なぜか、私の誕生日が一番最後にされましたが。
パラ水泳の取材に行かせて頂いたり、車いすテニスやブラインドサッカーを体験させて頂いたりしました。車いすテニスの時に、ダブルスでアテネパラリンピック金メダル、2008年北京、2016年リオでは銅メダルに輝いた斎田悟司選手からポイントを獲りました。
決して斎田選手が手を抜いたからではありません。そう思いたい…。
皆さんにも是非、パラスポーツに興味を持って、一度観て頂きたいなー、と思います。
パラスポーツならではの面白さや醍醐味がありますから。それぞれの選手の特徴などを把握して観ると尚更楽しめると思いますよ。
あっ、選手の特徴を把握するのにうってつけの番組があります!BS日テレでお送りしている「ストロングポイント」という番組はいかがでしょう?いろんな選手の得意なプレー、素晴らしいポイントなどがよーく分かります。たまたまですけど、私ナレーションを担当させて頂いております。
10番にした理由は、アーチェリーの満点が10点だからです。私たちは日々、70m先の10点に矢を当てるため練習を重ねています。
リオデジャネイロでの経験は凄く大きなものでした。そんなに人が入らないだろうと思っていた会場に大勢のブラジル選手を応援する人々が集まり、驚かされました。同時にパラスポーツにはこれだけの人を集める力があると教えられました。まだ、あまり知られていない競技も多くあると思いますが、東京大会では満員の観客と共に成功させることができればと思います。
オリンピックもパラリンピックも選手の力だけでは成功しません。
良いプレーを魅せる選手、それに大歓声で応えていただく応援が必要です。
みなさんと共に東京パラリンピックを最高の大会にしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
私は双子でもあり、2という数字に縁があり、親しみのある数字です。そんな数字に私の誕生日の日にちでもある3をつけて、背番号は「23」にしました。
私はこれまで水泳、バスケ、バレーと幼い頃から体を動かすことが大好きでした。
特に水泳では父がコーチでもあったので、とにかく夢中になり家族の絆、団結力、苦しい練習を重ね困難に立ち向かう強さ、目標に向かって諦めない心、精神力、努力が実を結んだことにより生まれる喜びや楽しさを学びました。スポーツは自分を成長させ、自信をあたえてくれる素晴らしいものです。
私にとってパラスポーツは、不可能を可能に変え、勇気や感動を与えてくれるもの。
選手の方々のスポーツを愛する心、熱い情熱、何事にも諦めずに進むパワーにいつも感動しています。そんな素晴らしい選手の皆さんを、今回チームメンバーとして応援させていただくことができ、とても幸せで胸が高鳴っています。
誰かより上とか下とか障害者とか健常者とか、みんな一人づつ役割が違うだけの1人という意味で。でも、9という数字もあと1で10になる。誰かの1で世界は変わるそんな「9」でありたい、という理由で9にしました。
リオデジャネイロのパラリンピック閉会式では、「世界を変えたい!」と思って踊りました!それをキッカケに車椅子を使ったダンスもはじめました。個性を表現できるダンスでまた世界を切り開くぞ!
4月24日が誕生日なので、背番号は誕生日の【24】にしました。誕生日の数字が全て偶数で、偶数が好きなのでこの数字にしました!小学生から車いすテニスをやっていますが、試合でも練習でも【楽しい】という気持ちが変わったことがありません!そんな魅力があるパラスポーツを是非、体験して実際に見てもらいたいです。パラスポーツを体験した方がいたら、その体験談を是非身近な人に伝えて貰いたいです。みんなでパラスポーツの輪を作り上げていけたら嬉しいです!
1番になりたいという思いが強いことと、名前が敬一だから、背番号は「1」としました。
パラスポーツに取り組んでいる選手たちは、皆身体のどこかに障害を抱えながらも、残された機能を存分に生かして戦っています。
それらは競技中だけでなく、普段の生活の中でも発揮されると思います。
そういった部分から、人間としての無限の可能性を感じることができますし、私も他の障害を持つ選手たちと生活する中での発見はとても多いです。
このプロジェクトに参加して、人間としての無限の可能性を伝えていければと思っています。
一人一人が集まって、みんなで一つになるの意味で1111にしました。
僕は「PARA☆DO!」という番組を通じて、たくさんのパラアスリート達と知り合うことができ、彼らは色々な壁を越えて、多くの人たちに希望を与えられる「光」のような存在だなと感じました。
僕もこのTEAM BEYONDを通じて、その光がさらに輝き、世界中の人たちを照らせるように、音楽でサポートしていきます!
誕生日が5月なので、背番号は5にしました。
パラスポーツ選手のパフォーマンスを観ていると、「不可能はないのだ」と思うことがあります。
ハンディを乗り越え、自分のものにし、自身を活かし競技に取り組んでいる選手たちの姿から、いつも前向きなエネルギーをいただいています。パラスポーツが更に盛り上がるように、応援します!
背番号、ユニフォーム表示名共にバドミントン選手として現役時代に所属していたチームでつけていたものです。
アスリートとしての自覚、責任感、プライドをもって取り組んでいた思い入れのある数字です。
東京2020パラリンピックからパラバドミントンが正式競技になります。
私自身、初めてパラバドミントンの試合を観戦したのが約1年前です。
障害の度合いに応じてカテゴリーは様々なのですが、パラバドミントンはこんなにも迫力があるスポーツなんだ!というのが最初の率直な印象です。
障害を抱えたまま、何故あんなにバランスよく力強い球が打てるのだろう。
何故力強く速いフットワークが出来るのだろう。
車椅子操作が難しいのに何故シャトルに速く反応出来るのだろう。
自分がアスリートだった頃にフットワークやバランスがいかに難しく重要であるかを痛感していたので、選手のみなさんが自然にプレーしている姿を見て驚きしかなかったです。
実際に会場で試合を観戦したときに、選手がコートの中でキラキラと輝いている姿を見てスポーツの持つ力の大きさを感じました。
そしてそれが本来スポーツのあるべき姿なのかもしれないと思ったら、初心に戻れた瞬間でもありました。
今まで自分が関わってきたスポーツよりももっと大きな視点でスポーツを見て向き合うキッカケをパラバドミントンにもらえたと思っています。
もともとパラスポーツと接点がなかった私は、自分の先入観や観点でなんとなく捉えていたことが多かったと思いますが、取材等で実際にパラスポーツの選手と話をして、そのスポーツを体験することで身近に感じ、私が感じていたもの全てが変わりました。
私が肌で感じたように、みなさんも実際に会場で試合を観戦すること、体験して自分で感じてみること、選手の話を聞くことで、理解を深めてもっと身近に感じることができるようになると思います。
そんな機会が増えるよう、パラスポーツをより多くの方に知っていただけるようなお手伝いをしていきたいです。
「15」は僕が人生で一番最初にもらった背番号です。
この背番号と共に、小学校の4年間サッカーに打ち込みました。
僕にとっては思い出深い、ずっと大切にしている数字です。
2016年に参加させて頂いたノーマライズ駅伝では、車椅子や義足で参加されていたパラスポーツ選手の皆さんのスピードや器具のコントロール、迫力、その研ぎ澄まされた肉体や神経の鋭さに驚かされました。
僕もスポーツに情熱を捧げる者の一人として、本当に感動したのを憶えています。
パラスポーツ選手のアスリートとしての素晴らしさ、不可能を可能にさせてしまう超人的な能力をお伝えしていきたいです。そして、何か一つのことに打ち込んでいくことの大切さ楽しさを、皆さんと共有したいなと思っています。
スポーツには、不思議な魅力があります。
自分の能力を最大限に生かせる競技で、最高のパフォーマンスに挑むアスリート達。
そんなアスリートの皆さんを応援することで、何故か応援する側が元気づけられるのです。
音楽にもまた、誰かを勇気づける力があると思ってます。僕は音楽で、パラスポーツを楽しむ全ての皆さんに、エールを送ります。
私の誕生日で1,2,2,3でhop・step・step・jumpと着実に一歩一歩進んでいく。という意味を込めて、背番号を「1223」にしました。
パラアスリートがハンディキャップをものともせずスポーツに取り組む姿から、はかり知れない努力の積み重ねがあったのだろうと感じ、力をもらっています。
パラスポーツをまだ生では観たことがないので、メンバーに加わったことをきっかけに観ていこうと、楽しみにしています。
テレビで観るのと、生で観るのは違うとスポーツ番組の取材を通して学びました。2020年に向けてはもちろん、それ以降もパラスポーツを応援していきたいです。
背番号は、自分が戦う障がいのクラスの数字にしました。
パラ卓球は、11段階のクラスに分かれていて、障がいの部位でなく、程度で決まっています。
それぞれのクラスならではの戦い方の違いにも注目してもらいたいです。
リオパラリンピックでの経験は、自分の人生が変わってしまうほどのインパクトがありました。
様々なアスリートの障がいを感じさせないパフォーマンスに触れることができ、この面白いパラスポーツの世界を多くの人に伝えていきたいと素直に感じました。
パラスポーツ、パラ卓球に少しでも興味を持っていただき、会場に足を運んでもらえたら最高に嬉しいです。
満員の会場のなか、自分のできる限りのパフォーマンスをして、結果を出せることを夢見てます。
今、誰もが同じように21世紀という時代に生き、まだ見ぬ22世紀に日々向かっている。
生まれ死んでいくその間において、誰もが生きがいをもって幸せな人生を送りたいと考えるはずだ。
障害を抱えていてもいなくても自分自身の可能性を信じ、限界に挑戦し続ける人は美しく、そして見るものに夢とパワーを与えることができることを目の当たりにした。
パラスポーツへの理解がもっと発展した22世紀にはその区別すらなくなっている事を夢みている。
私は名前をサナと呼ばれることが多いので、背番号は37番にしました。
小さい頃からラケットスポーツが好きで、卓球・バドミントン・ソフトテニスなどやっていました。そして今では、車いすテニスをやっています。老若男女問わず健常者と一緒に楽しめるスポーツです。私は競技を通じて、たくさんの人と出会い、素敵な仲間ができました。
パラスポーツが皆さんにとって、『人と人とがつながる存在』になって欲しいと思います。
一緒にパラスポーツの輪を広げていきましょう。
自分の生まれた年であり、世界中で新しいミレニアムを祝ったので背番号は「2000」にしました。
現役女子高生として、同世代の仲間たちにパラスポーツの魅力を発信していきたいです。
そして、一緒にパラスポーツを盛り上げていきましょう!
CMで共演させていただいたLittle Glee Monsterのmanakaちゃんとは同じ歳で試合の前や気持ちが下がっているときにLittle Glee Monsterの曲をよく聞きパワーや勇気をもらっています。
「音楽」と「スポーツ」とステージは違うけど、同世代の頑張っている姿は純粋にうれしいし、自分ももっと頑張ろうって思います。
旦那さんとの結婚記念日12月11日なので、背番号は『1211』にしました。リオでは、いままでライバルだった選手が、気軽に話しかけてくれました。
同じ目標を目指し、達成した選手たちと仲良くなれたことが、私にとって幸せな出来事でした。
より多くの方にパラスポーツに興味を持っていただき、障害があっても、前向きに幸せに生きれるんだということを感じていただくと共に、スポーツとして楽しんでいただきたいです。そして、障害者と健常者が、分け隔てない社会になればいいなと思います。
大人への抵抗感から中学入学する頃には不良と呼ばれるようになっていましたが音楽と出逢い、東京を中心に精力的に音楽活動を行っております。
僕が10代の時、自閉症 障がいを持つ友達が多くいる学校に通っていました。
当時不良と呼ばれていた僕に学校の人は徐々に誰も話さなくなってしまったのですが、自閉症の友達は色んなフィルターをかけずに僕と接してくれて、歪んでいた僕の心が明るくなった事を覚えております。
パラスポーツを通じてたくさんの人が元気になったり、勇気付けられてほしい。
そんな想いからこの度チームビヨンドに参加させていただきました。
僕はまだまだ想いや声を歌を通じて届ける事しかできないですけど、パラスポーツを通じて一緒に成長して一緒に繋がっていきたいと思います
2020年は、今まででパラスポーツが最も輝く年!になれるよう、微力ながら応援させていただければ幸いです。
自分が作詞作曲した「輝き・・・たい」と一緒に、全国のライブハウスや地域活動を通じて、パラスポーツの魅力を子どもから高齢者まで幅広い層に伝えてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
背番号にした『45』は、実家の果樹園の屋号であり、誕生日が5月4日。ハンドボール時代の背番号は5で、リオには5大会連続出場で順位は4位。山梨陸上競技協会の登録番号も4005番なので、『4』と『5』に出会う機会が多いからです。高校3年生の時に交通事故で右足の膝下を切断し、その1年後に義足をつけて初めて跳んだ高さが1m65センチでした。その記録は当時の日本記録(1m50センチ)を超えるもので、それがきっかけとなり、僕がパラスポーツへのめり込む出来事となりました。パラスポーツは『体』の限界だけでなく『心』の限界にも挑んでいます。
パラスポーツに少しでも興味をもっていただき、チーム員を増やすべく、このプロジェクトをどんどん知り合いに広めて行ってください!!
雑誌『東京グラフィティ』の編集長の鈴木です。
背番号の373は、すみません、娘の名前:ミナミからです。プライベートネタでごめんなさい。
東京グラフィティは、原宿のファッショニスタから、秋葉原のオタクまで、様々な一般の人たちが大量に登場する雑誌です。そんな中で、身体障害者の方たちにも何度か登場していただいています。
これからもパラスポーツを頑張っている人や選手を応援する人たちに、いろんなキャラの多くの人たちとともに、ボーダーレスで登場していただきたいなぁと思っています。
パラアスリートの人たちが、特別な存在としてではなく、いろんなみんなとともに一緒に日々を生きている、そんな新しい時代を映していければと思っています。
誕生日、チーム背番号、好きなスポーツ選手の背番号など、「22」への想いは多数あります。
アメリカで車椅子バスケットボール選手として活動している環境を生かし、海外で日本文化や東京2020大会の魅力配信をしていきます。20代の同世代へパラスポーツが身近に感じてもらえるよう頑張ります!
高校の頃にボッチャと出会い、楽しさと奥深さを知りました。
ずっと続けられるのは、いろんな発見がボッチャを通じて感じられるから。
そんなボッチャ競技の魅力を、自分自身の競技と普及活動でひとりでも多くの人に伝えていけたらと思います。
たくさんの方々に、パラスポーツを見て、知って、体験して頂いて、応援していただけたら嬉しいです。
このプロジェクトを通してパラスポーツを皆さんと一緒に盛り上げていきたいと思います!!
私「高杉奈緒子」は耳が聴こえません。
2019年にビヨンドのイベントに出演させて頂き、他のハンディキャップを持っている方がスポーツや芸能を通して活きると言う事を全力で伝えている姿を見て、メンバーに登録させて頂きました。
背番号は海外では705、国内では75を付けてレースに出ているので、今回はパラリンピックという事で全世界で使用している705にしてもらいました。
「ホンダ」「ヤマハ」「スズキ」「カワサキ」の4大メーカーがある国・日本。その日本におけるオートバイ・ロードレースの最高峰が「全日本ロードレース選手権」です。耳が聞こえない、音の無い世界でレースに挑戦し続けています。
2007年に開始した挑戦は、2020年で14年目となります。
これはひとえに、皆様方のご支援の賜物だと感じております。
難聴であり女性であるという事実は、そのクラス分けがないレースの世界では大きなハンデとなるかもしれません。
でも前を向いて挑戦し続けた結果、ルマン24時間レース参戦という所までたどりつきました。
そしてアジアロードレース選手権という海外レースへのフル参戦も経験させていただきました。
海外レースへの挑戦も全日本ロードレースへの挑戦ともに記録を更新しながらも持続させていただいています。
2020年はより一層パラスポーツが活発になるよう祈願してます。
百獣の王の背番号は100番でしょう。
陸上10種競技の日本一になったところからスポーツと共に歩む人生が始まりました。
芸能界に進んでからも野球やゴルフなどこれまで経験した全てのスポーツが人生の支えになり、最高の楽しみにもなっています。
パラスポーツはきっと、近い将来、健常者スポーツの記録や技術を超えた選手を多く生み出すだろうと感じています。
パラアスリートの皆さんが、例えば競技用の車椅子や義足などを身に付けて、新たな力と可能性を掴み取る姿はスポーツ界を更に盛り上げてくれると信じています。
雑誌『Hanako』の編集長を務める田島です。背番号875の由来はもちろん「ハナコ」です!
私たち『Hanako』の人気レギュラーページのひとつに「LOCKERROOM」という企画があります。アスリートも、歌手や俳優と同じように、女性たちを魅了する存在である、そういったメッセージを込めた企画です。
もちろん、パラアスリートもそう。スポーツに没頭する真剣な表情と、プライベートを照れながら語るチャーミングな表情、そのギャップがあればあるほど、心がキュンキュンしてしまう。そんなパラアスリートたちの等身大のピュアな魅力を、TEAM BEYONDでも皆様に伝えていければと思っています。
背番号は、息子の誕生日にちなんでつけました。
息子が生まれたときに東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったことを心から喜んだ思い出があります。スポーツ全般大好きで、よく観戦しています。僕自身は陸上競技、野球をやっていました。パラスポーツには奥深いドラマがあると思います。その奥深いドラマにスポットが当たることによって、観る人々はより大きく感動し、パラスポーツに対する共感、理解が得られることを望みます。
私自身はパラリンピック競技22種目のパラスポーツの経験はありませんが、
ダウン症のある方のダンスチームと音楽ライブの活動を行ったり、ハンディキャップをお持ちのアーティストとコラボレーションにより音楽を通じて、障がいの有無に関係のない共生社会に向けた活動経験があります。東京2020大会を機会に、パラスポーツ支援の輪を拡げる活動に今年は積極的に参加していきたいと思います。
25年以上の競技経験と、国際的バックグラウンドを生かし、国内外へのパラスポーツの魅力を発信していきます。また、年齢関係なく楽しめるパラスポーツの良さを伝えていきます。
わたしの階級が48kg級なので、これからの48kg級を背負うという意味でこの背番号にしました。
以前の私は、スポーツにそんなに興味があったわけではないですが、スポーツの世界は、すごく美しくて、フェアで、見ていて泣ける、と言ってくれた方がいて、その言葉によって、スポーツをやっていることをすごく誇りに思いました。
パラの選手とお話しする機会があって、私たちと同じ気持ちを持って競技に臨まれていることを感じました。パラスポーツのことをもっと皆さんに知ってもらって、見てもらって、応援してもらいたいです!
地下アイドル仮面女子の猪狩ともかです!
背番号はお誕生日の【1209】にしました。
スポーツは水泳を12年間、ソフトテニスを3年間やっていました。
パラスポーツには、自身が車いす生活になり初めて触れましたが、とても楽しくてもっとパラスポーツの魅力を伝えたいと思いました。
1人でも多くの人がパラスポーツに興味を持ってもらうことのお役に立てれば嬉しいです!!
自分の誕生日が4月11日なので誕生日の番号にしました!
私はパラスポーツをもっと有名にさせたいし、盛り上げていきたいと思っています。
そのためには、たくさんの方にまずは知っていただくことが大切だと思います。
講演会などを通して普及活動も頑張っていきたいし、これからもっと多くの人と出会っていきたいです。
障害の有無関係なく、皆でスポーツを観たり体験したりして、一緒に楽しんでいきたいと思います。
そして一緒にパラスポーツを盛り上げていきましょう!
自分たちは全日本テコンドー協会普及育成演武団として、東京2020大会からパラリンピック正式競技となりますパラスポーツテコンドーを1人でも多くの方に知ってもらい興味を持っていただく、普及というとても重要な役目をいただいております。
背番号【5555】は、常にやる気満点!やる気に満ち溢れ前進していく!と言う気持ちを込めました。
普及活動を通して、こんなにも沢山のパラスポーツ競技を身近に感じ体験も出来る機会があるのだと実感致しました。BEYONDメンバーとしての誇りを持ち、多くの方々にパラスポーツを周知する事が出来るよう【5555】の精神で精進を重ねます!
自分の名前にちなんで73にしました。
私自身、体を動かすことが大好きで、ランニングやゴルフ、自転車などさまざまな
スポーツに挑戦しています。リポーターをしているラジオを通してさまざまな人に
パラスポーツの魅力を発信できたらと思っています!
父が草野球チームで背番号14番だった事もあり、自分にとってすごく大切な数字になっています。
パラスポーツは、制限される事によって何かを諦めるのではなく、そこから工夫をすることによって可能性を見出す素晴らしさがあると感じます。先日、ブラインドサッカーの日本代表の臨時コーチをさせて頂きましたが、健常者のプロ選手に教えるような難しいキックを、手本を見なくても言葉を深く理解して少しずつ実践できるようになってゆくのが印象的でした。
パラスポーツ発展の力になれるように自分の持っているモノを出し尽くしたいと思います。
背番号を38にしたのは、50m自由形で39秒を切る、つまり38秒台で泳ぐことが目標だからです。競技での経験はどれもこれもが大事な思い出です。
リオでは、世界中の人たちが集まって、障害なんて感じることなくスポーツができる幸せ、生きている!と感じられました。
スポーツは、「する人」「見る人」、そして「直接的あるいは間接的に支える人」がいて成り立ちます。私は「する人」ですが、何かを成し遂げるためには、誰が欠けてもできません。今は、みなさんと一緒にパラスポーツを盛り上げたいと思います!
背番号の256=ニコルという意味です。今までもコラボ商品などで使ってきた番号なので、好きな背番号にできて嬉しかったです。
スポーツは、水泳やソフトボールをやってました。ソフトボールはかなり好きだったので、モデルをやっていなかったら、ずっと続けてたと思います。ポジションはセカンドでした。
パラスポーツも、生で観てその迫力を間近で体験したいです。
わたしのファンは中高生など10代の若い子が多いので、わたしたちの世代で、パラスポーツを元気に盛り上げていければいいなと思います!
背番号を「8」にした理由はいくつかあります。
あだ名がはっちゃんだったこと、末広がりの数字であること、横にすると∞となり無限大を意味することです。
私も含めて人には無限の可能性があり、パラスポーツはその可能性を見せてくれるものだという思いも込めて「8」を選びました。
大学2年生の終わりに突然緑内障により中心の視野の大部分を失いました。当時の喪失感、絶望は言葉にすることができません。
その2年後に出会った視覚障害者柔道が私に勇気と希望を与えてくれました。組んで始めるだけで一緒に柔道ができるということが、畳の上がフラットであることが、柔道の懐の深さが私を救ってくれました。
まずはたくさんのパラスポーツを知り、楽しみ、応援してください!そしてパラスポーツから人がもともと持っている無限の可能性に気づいてもらいたいです。多様性に満ちた混ざり合う社会につながることを強く願っています。パラスポーツにはその力があります!
世界的スポーツ祭典の周期である、4年から背番号4にしました。
「障がい者スポーツの父」と呼ばれるルートヴィッヒ・グッドマン博士の「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」という言葉の通り、パラスポーツのアスリートたちは、誰ひとり同じ動きをする選手はいません。
それぞれのパラスポーツ競技にベストを尽くすアスリートは正に「真のアスリート」。彼らの価値、スポーツの価値を少しでも伝えていければと思い、TEAM BEYONDに参加しました。
10年前、Honey L Daysとしてデビューした9月3日が僕らの原点ということで「93」にしました。夢に向かって頑張ってる人の背中をそっと押してあげられるような歌を2人で歌っていくためスタートを切った大切な日です。きっとたくさんの人に“始める”きっかけをくれるパラスポーツを応援するチームビヨンドの背番号として真っ先に思いついた番号です。 パラスポーツに触れた瞬間、味わった事のない感動と、勇気に似た、一歩を踏み出す力が湧いてきます。そして、必ずスポーツ界をさらに盛り上げてくれる選手の皆さんの挑戦に、日本の明日、新たな可能性を大いに感じます。 歌で、音楽で、このパラスポーツの魅力をもっともっと深く、真っ直ぐに広げていきたい!という衝動が、このチームビヨンドの参加に繋がり、同じ思いの皆さんと一緒に盛り上げられる事をとても嬉しく思っています。
3月3日は「耳の日」でもあり、WHO(世界保健機関)では「World Hearing Day」
として制定されているので、背番号は『33』にさせていただきました。
今回、素晴らしいプロジェクトに参加させていただき大変光栄です。
World Hearing Dayには毎年テーマがあり、
2018年のテーマは「Hear the Future(未来を聞こう)」です。
現在フジテレビ「PARA☆DO!」公式アーティストとして、
僕達もたくさんのパラアスリートの未来を聞かせて頂いています。
音楽やパフォーマンスを通じて、その魅力を伝えていきます!
2013年1月27日、日本ボッチャ選手権大会で初優勝した日。これまでの競技人生の中で一番嬉しかったこの日の数字を背番号にしました。
ボッチャをやってきて、勝つ喜びや楽しさ、勝つための努力、辛さを学び、たくさんの仲間との出会いと関わりの中で自分を成長させてもらっています。
最重度の障害があってもコート上で自らを表現し、ひとりのアスリートとして世界で戦う「夢」を与えてくれる魅力と、子どもも大人も障害の有無に関わらず誰もが「夢中」になって楽しめる魅力を掛け持つボッチャからパラスポーツを馴染みのスポーツとして多くの人に広めていきたいと思います!
「ちがいを楽しもう 」をコンセプトに活動する車いすチャレンジユニットBEYOND GIRLS。
従来の車椅子・障害者のイメージを覆し、自分達の可能性を超えるため、日頃は講演会・歌やダンスなどのパフォーマンス・YouTube配信などにチャレンジし、それぞれの経験や想いを伝えています。
その中で自身のパラスポーツ体験談やバリアフリー情報も発信し、今までにない車椅子ユニットとして、多岐にわたって活躍中です!
様々な不可能をBEYOND(超える)し、可能にしていきたい・・・
そんな想いから「BEYOND GIRLS」という名前をつけました。TEAM BEYONDのメンバーになれた事をとても光栄に思い、今後は「BEYOND」という言葉がさらに私たちにとって大きな意味になっていきます。
車椅子の3人でしかできない事を日々模索しチャレンジし続け、パラスポーツを広めたり、アスリートの皆さんを応援し、日本を盛り上げていける存在になれたらと思います。
背番号の810はハート。(810)
ハード面だけではなく、ハート面をバリアフリーな世の中に変えていけるようにという願いを込めて付けました!
(写真左から中嶋涼子、小澤綾子、梅津絵里)
下の名前から取って、とし= 104 にしました。
パラスポーツへのキッカケは、アンプティーサッカーの選手に出会ったことです。
試合では、選手が松葉杖を上手に使いながら、サッカーをする。
「オモロイ!」と、一気にファンになりました。その後、友達がプレーしていたウィルチェアーラグビーにも触れる機会があり、今度は、車椅子同士がぶつかる衝撃に驚きました。
僕自身もそのスポーツを体験したいと思い、実際にやってみると全然うまくいかない。
パラスポーツの場合は、観ることだけでなく、やってみることが大事であると実感しました。
今後は元アスリートとしての観点から、選手と共にパラスポーツを盛り上げることが出来ればと思っています。
背番号は12番にしました。サッカーのサポーターの番号なのですが、皆12番をつけて応援しているので、僕も12番をつけて応援したいです。
僕らでも大変なトレーニングを、ハンディキャップを抱えた人たちがチャレンジしていく姿は、とても素晴らしいと思います。
勝ち負けも大事ですが、何かに全力で向かっていく、その姿に心を打たれ、感動しました。
過去に「車椅子サッカー」をやっている人たちと交流したり、目の不自由な人たちの通う学校に、「ブラインドサッカー」で使うサッカーボールをプレゼントしたことがあります。
その時感じた事は、ハンディキャップを背負った人たちが競技をするための道具というのは、実はすごく大事だということです。
例えばサッカーだったら、音が聞こえるボールだったり、競技をするうえでの必要な道具がいろんな競技でまだまだ行き届いていない部分もあるかもしれません。
我々サポートする側は、そういうことも含めて何かバックアップ、サポート出来たらいいかなと思っています。
皆さんにも協力してもらい、僕たちの応援を選手に届けたいと思います。
背番号は、3月11日生まれなので「11」にしました。
中高はテニス部でした。スポーツで身体を動かすと相乗効果があり、色んな事にやる気が出るので常にスポーツはしています。今は、マラソンをしています。
少しでも多くの皆さんにパラスポーツ競技に関心を持ってもらえるよう、Team Beyondの一員としてパラスポーツを盛り上げていければと思います。
48は何かと縁のある数字で自分の誕生日でもあるから、背番号にしました。
ラジオコーナー「高橋みなみのパラアスリートに会いたい!supported by TEAM BEYOND」の中で沢山のパラアスリートの皆さんにお会いしお話を聞かせていただいています!
皆さんの熱い思いや努力、パラアスリートについて知らなかったことも沢山ありました。
パラアスリートの皆さんをもっと身近に感じていただきたいですし、知ってほしいと思います。
東京2020に興味があるない関係なく1人1人がTEAM BEYONDメンバーとなって、パラアスリートの皆さんの力になるよう応援していきたいですね!
『724』は、娘の誕生日で自分にとってとても大切な数字なので選びました。そして、2020年の東京オリンピック・パラリンピックが始まる日でもあります。
現在MCを務める東京MXテレビ『カウントダウンTOKYO』で、色んなパラアスリートの方にお会いして、本当に刺激をもらっている毎日です!知れば知るほど競技の面白さを感じ、そしてアスリートたちの熱い思いに触れています。
2020年に向けてスポーツ気運が高まってきています。日本人として、この瞬間に立ち会えることは何より嬉しいことです。しかし、この盛り上がりを2020年で終わらせてしまってはいけないなと感じています。このプロジェクトに参加して、伝える立場として現在、そして未来にパラスポーツの素晴らしさを継承していきたいと思っています。
自分の誕生日でもあり、パラスポーツをみんなで観戦するにあたって、その会場を常にキレイに保とう。
530(ゴミゼロ)で行こうという気持ちでこの番号に決めました。
いかがでしょうか?僕は『これだっ!』と思いましたよ。
さぁ、僕は今!2020年に向けてパラスポーツをもっとみなさんに知ってもらう為に現在、TBSラジオ【アフター6ジャンクション】や、様々なイベントでパラスポーツの面白さを声を大にして伝えさせて頂いてます。
みなさん、1度、自分の目でパラスポーツを見て下さい。
パラ陸上。T11クラス(換算視力:0.0025未満)の選手の走幅跳。
どうやって跳ぶんだろって気になりません?
気になったら、まず見て下さい。
自分からそこに足を運ぶ事でよりそのスポーツを好きになりますから。
みなさん、パラスポーツを一緒に好きになっていきましょう!
背番号は「1776」にしました。家族みんなでパラアスリートを応援しよう!という
気持ちを込めて、家族の誕生日を組み合わせました。
息子の通う小学校の水泳の授業にコーチとして来てくださっている大学生の中に、
一人パラアスリートがいます。
足に障がいのあることを感じさせない彼女の泳ぐ姿に、「速い!かっこ良い!」と息子は大感動。
彼女から水泳を教えてもらうことが楽しみで仕方ない様子です。
もしかしたら、2020年のパラリンピック代表に選ばれるかもしれない彼女は、
息子のヒーロー(ヒロイン)!
息子の感動を通して家族皆が、パラスポーツをとても身近に感じられるようになりました。
これからもパラアスリートを家族一丸となって応援したいと思います。
私が初めて出場したソウルオリンピックのときにつけた背番号が10番だったので『10』にしました。バレーをはじめたときから目標にしてきた大会にようやく出場できやはり思い出深い数字です。
ありがたいことに、現在は様々なパラスポーツに関わらせていただく機会も多く、日に日に思いが強くなっております。精神的にも強く、学ぶことがたくさんあります。現役中に交流がなかったことが悔やまれるくらいです。
車いすバスケットボール・ウィルチェアーラグビー、そしてもちろんシッティングバレーボールなどあらゆるパラスポーツを体験しました。パラスポーツを知る、また実際にやってみることで面白さ・奥深さを実感し、ますます応援したいという気持ちになります。
このプロジェクトを通して私と同じような気持ちになってくださる方が増えるといいなと切に思っております。私に出来ることはないか模索しながら新たな可能性を開拓していきたいと思います。
単純に私の誕生日の数字を選びました。
カヌーは2016年のリオパラリンピックより採用され、東京2020パラリンピック競技大会のカヌー競技は私の生まれ育った地元江東区で開催されます。
地元でのメダル獲得を目標に、またその先の障がい者スポーツの発展のために精進していきます!!
幼い頃からのあだ名が「ヤイコ」なので、数字の当て字で、「8(ヤ)1(イ)5(コ)」。馴染みのある数字なんです!
以前、区のイベントで車いすバスケットボールの体験をさせてもらいました。
自分の思ったように車いすを動かすのが非常に難しく、その上でボールをコントロールしてゴールを決めるのがどれだけ大変か身をもって知りました。
めっちゃ楽しかったけど、5分で汗だくでした…。
スポーツとして、とても魅力的で格好良いと思いました!
KenKenに誘っていただき、歌声を通じてこのプロジェクトに参加できたこと、本当に嬉しく思っています。音楽の力よ、届けーーー!
プレイヤーとしてゴールボールの迫力、楽しさを伝えられるように全力で取り組んでいきます。私たちの頑張っている姿が、皆様の記憶と心に残るように頑張ります!
是非、パラスポーツ会場へお越しください。
東京都知事の小池百合子でございます。パラスポーツのファンサイト「Team Beyond」へようこそ。
パラリンピックの成功なくして東京2020大会の成功はありません。2020年に向けてパラスポーツを盛り上げると同時に、2020年以降も東京に、そして日本全体にパラスポーツが根付いていくよう、様々な視点からその魅力を発信してまいります。
あらゆる違いを乗り越え、ひとりひとりの個性が輝く未来を目指していく「Team Beyond」の精神は、障がいのある人もない人も、女性も、男性も、子供も、高齢者も、誰もがいきいきと生活できる、活躍できる、多様性を持った都市である「ダイバーシティ」につながるものです。
アスリートも、観る人も、支える人も、みんなが会場に集い、一つのチームとなってパラスポーツを盛り上げたいと思います。さあ、ご家族、ご友人を誘って、一緒に観戦に行きましょう。
パラカヌーと出会ったのは2014年。息子を出産して2年後のことでした。30歳を過ぎて世界で戦うことになるとは思ってもいませんでした。パラスポーツは障害特性に合わせて選ぶことができ、何歳からでもチャレンジできる魅力的なスポーツだと思います。子どもがいるママさんでも活躍できることをたくさんの人に伝えたいと思います。背番号『50』は自分の目標タイムです。50秒を切らないと世界のトップ選手たちには勝てないからです。「夢や目標は人生の原動力」ということも伝えられるように全力を尽くします。
私たちは、楽しみなことがたくさん起きそうな2020年に向けて、今「DREAM20」という「20」個の夢をファンの皆さんと叶えるべく、目標にして日々活動しています。
その「20」という数字にちなんで、「20」を選びました。
自分の信念や高い志を持って競技に向き合っている選手が戦う姿は、私たちの原動力です。
選手のプレーをする姿から伝わる熱いパワーは、日本中、世界中のたくさんの人へ繋がっていると思います。
試合の空気を肌で感じ、生で応援することの楽しさが、もっと多くの方に広がってほしいです。
CM出演をきっかけに、車いすテニスのしおりちゃん(船水選手)と今回いろんなお話をして、“パラスポーツを通して伝えたい想い”やしっかりと自分の軸を持って戦っている事をより強く知ることができました。
だからこそ、高い志を持って戦う選手の試合を見るとあたたかい勇気がいつも伝わってくるんだなと思いました。
私たちも、日々戦うみなさんの心に響くような音楽をこれからも届けていけるように頑張ろうと思います(manaka)
七転八起の8です。何度でも立ち上がるイメージです。
17歳で障害を持ち、自分を表現できる場所がパラスポーツにありました。
多くの素晴らしい楽曲を、パフォーマンスを発揮するスポーツへと繋げていきたいです。
私は幼い頃からスポーツが大好きな少年でした。
2011年のある日、交通事故で車いす生活になり、落ち込んでいた僕を救ってくれたのはスポーツでした。
そんな私が初めて日本代表に選出されたのが、2013年の世界選手権大会です。
「初めて日本代表になった時の思いを胸に今後も戦って行くんだ」という決意を思いを込めて「2013」にしました。
スポーツの魅力を少しでも多くの方に広げていけるよう、精一杯がんばります!
車椅子バスケ、ソフトボール、パラアイスホッケーなどの多種目経験を生かして、パラスポーツの魅力配信をしていきます。パラスポーツには、健常者でも楽しめる競技が多数ありますので、是非多くの方々に体験してほしいです!
※ユニフォーム名五十音順
※写真掲載のみの方もいます