アルペンスキー界の生ける伝説! 森井大輝が振り返る北京パラリンピックの舞台裏

2022.03.31
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TEAM BEYONDのスゴ技動画でも華麗な滑りを見せてくれた北京2022パラリンピック日本代表の森井大輝(もりいたいき)選手。これまで、2002年のソルトレイクシティパラリンピックから2018年平昌パラリンピックまでの間に4つの銀メダルと1つの銅メダルを獲得。さらに、アルペンスキーワールドカップでは3度の総合優勝、世界選手権では4度の優勝という成績を残してきました。

北京パラリンピックでは、難解なコースにより多くの選手が途中でコースアウトとなった中、なんと銅メダルを2個も獲得! パラスポーツファン、ウインタースポーツファンを沸かせました。今回は北京パラリンピックを振り返るとともに、今後のパラスポーツについてもお話を伺いました。

コロナ禍の中挑んだパラリンピック

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前回の冬季パラリンピックから4年。2002年から各地のパラリンピックや世界選手権で戦ってきた森井選手ですが、世界的なコロナ禍による影響からは逃れることはできません。だからこそ、今回のパラリンピックについて最初に出た言葉は「今できる努力を最大限積み重ねて挑んだ大会だった」という言葉でした。

「やはりコロナ禍による影響はすごく大きかったなと思います。その状況の中では、自分のことを褒めてあげたいと思えるぐらいの成績でしたが、たくさんの人のサポートの中で僕は競技ができています。その最高の恩返しは、金メダルだと思っているので、その点については悔しさが残る大会でもありました」

最初のパラリンピックは2002年のソルトレイクシティ。その次に開催された2006年トリノで「大回転」銀メダルをとってから、今回の北京を含めて5大会連続でメダルを獲得するという快挙を成し遂げています。

しかし今まで銀が続いた中、獲得したのは目指していた金ではなく銅。最大限の努力を積み重ねた結果に悔しさを隠しきれません。しかし、その気力が今回の大会で潰えたわけではないようです。

「以前は自分の滑りが世界最先端だったと自負しています。でも今は同じくらい滑れる選手がゴロゴロ出てきています。勢いある選手たちと今も一緒に戦えて、しかも『金メダルを目指します』と言える状況にいることがなにより幸せですし、結果は悔しいけど、北京パラリンピックは楽しむことができたレースだと思います」

難解なコースでも応援の力が後押しに

今回の北京はコースの難しさも話題に上がりました。尾根を使ったコースはすり鉢状の空間ということもあり、かなりのスピードが出る状態に。さらにコース幅の狭さも難易度を上げていたと言います。しかも、本番までの練習はわずか3日間のみ。その期間でテスト走行やスキー板のフレーム調整なども行わなければなりません。

実際に滑った森井選手は、今回のコースについて「フレーム調整よりも、気持ちを落ち着かせる必要があった」と振り返ります。

「実際にコースを見たときは、思わず遠い目をしてしまいました(笑)。雪面はアイスバーン状態。ハイスピードのままネットに当たると、骨折などのリスクが高いので絶対転べないと思いました。怖かったですね」

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コロナ禍での練習環境と北京との違いも影響したと言います。練習拠点としたのは長野県菅平高原。「日本国内で考えられる限り、最高のトレーニングができた」とのことですが、海外遠征ができなかった影響は大きかったそうです。

「やはり海外に出て、練習を積み重ねなければ厳しいんだなと感じました。どれだけフレームがよくて、サスペンションがよくても、積み重ねが足りなければ、レースでひずみが出てしまうんですよね」

これまでと異なる状況で挑んだ大会だからこそ、チームみんなの力が大きかったと森井選手は話します。そして、何にも代えがたい力となったのは『応援』でした。

「コースに対する恐怖心がありましたが、みんなの応援を『勇気』に変えて、スタートバーを切ることができたんです。チームのスタッフの力と、応援の力が重なって銅メダルへと繋がったと思います」

次回のパラリンピックは、2026年ミラノ・コルティナでの開催となります。森井選手は「ぜひ行きたい」と、まだまだ現役続行への意欲を燃やします。コルティナは、1956年コルティナ・ダンペッツォオリンピックで、猪谷千春選手が日本人で初めて冬季オリンピックのメダルを獲得した場所。また、イタリアのミラノでは、森井選手自身が初めてメダルを獲得した場所ということもあり、イタリアへの思い入れは強いものがあります。

「最初と最後のメダルをイタリアで獲得したいと思って、出場に向けて話を進めています。まだやりたいことがあるうちは選手として、やらせていただきたいですね。何歳でもチャレンジできるところを見せたいです」

もし実現すれば、45歳での挑戦。「回復力の衰えは感じても、体力の衰えは感じていない」と言う森井選手は、チャレンジ精神の塊だからこそ、気力も体力も十分です。

スゴ技を超えるスピードがパラリンピックで出ていた!?

北京パラリンピックの前に公開された、TEAM BEYONDのスゴ技チャレンジ映像。雪上で時速何キロ出せるかというチャレンジでは、スーパー大回転で、なんと時速84kmという記録を出しました。映像を見てみると、2本のポールを旗で繋いだ旗門に当たるように滑っています。

超高速の大迫力ターン!時速何kmまで出せるのか!? 0-2 screenshot

「ハイスピードで旗門に当たるのは、けっこうリスクがあって技術がないとできないんです。チェアスキーの中でできるのは僕くらい。ターンすることは減速につながるので、スピードを維持するには、いかにターンを短くするかがカギになります」

手元のストックを使っているように見えますが、ほとんどストックは使っていないとのこと。イメージとしては「自転車のブレーキをかけずにグリップだけで方向操作しながら坂道を下っている状態」と言います。雪上を飛び跳ねてしまう瞬間などは、怖くないのでしょうか。

「あの方向に飛べば大丈夫、という自分の中で自信がある方向へ飛び込みます。コースは何度もイメトレして、目をつぶってもコースが見えるほどイメージをたたき込んで滑るんです」

ちなみに、挑戦されたスゴ技チャレンジの会場では、あまりスピードがでなかったとのことですが、北京パラリンピックではどのくらいのスピードが出ていたのでしょうか。

超高速の大迫力ターン!時速何kmまで出せるのか!?(メイキング映像) 0-27 screenshot

「スゴ技チャレンジでは、トップスピードで84キロ、ターンで60キロほどでしたが、北京パラリンピックでは、ターンで90キロほど出ていました。ずっと富士スピードウェイのショートコースで練習していた人が、いきなりF1の本コースで走るくらいの違いはありましたね」

東京2020を経て、パラリンピックで感じた変化

今回の北京パラリンピックは、コロナ禍の影響で東京2020直後の開催でしたが、これまでの冬季パラリンピックと比べて、多くの日本のメディアが取材に訪れていたそうです。

「東京2020での『パラスポーツを盛り上げよう』というレガシーが、北京にも引き継がれていたと感じています。だからこそ、僕ら選手自身も成績を残さなければという思いが強い大会でした」

大会を観ていた一般の方からのメッセージにも変化がありました。

「今回は実際に滑っている人が、多く観戦いただいていたようで、頂いたメッセージも『(滑りが)美しかった』など、より具体的な応援コメントが多くて、嬉しかったですね」

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スキーに詳しくない人にも、ぜひスピード感を楽しんで欲しいと森田選手。最後に、TEAM BEYONDのメンバーへメッセージを頂きました。

「パラスポーツでも、どのようなスポーツでも、本当に皆さんの応援が僕たち選手の力になっています。その力が、自信に繋がったものが試合の結果だと思うので、これからもぜひとも熱い応援をよろしくお願いします」

やりたいことが尽きない限り、挑戦し続ける姿は、きっと多くの人にとって支えになっているに違いありません。これからも、TEAM BEYONDは森井選手のチャレンジを応援し続けます。

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