リオ パラリンピック観戦レポート 「パラの歓喜と未来」 廣瀬 俊朗 [ラグビー選手]

2016.11.11
リオ パラリンピック観戦レポート 「パラの歓喜と未来」 廣瀬 俊朗 [ラグビー選手]

今回のリオパラリンピックは、今までの僕の人生において、もっとも価値観を変えたイベントの一つになった。
これまでは、2015年ラグビーワールドカップの影響が一番大きかった。
僕たちの歴史的な勝利によって、世界を驚かせ、世の中の流れを変える経験ができた。
今回のパラリンピックは、それに匹敵する。
たったの12日間。そこに様々な競技のアスリートの4年間が凝縮されており、彼らはとても輝いていた。

メイン会場のオリンピックパークは、とてもコンパクトな作りになっていて、水泳、ゴールボール、パワーリフティング、車椅子バスケなどを1日で見ることができる。
パラリンピック初心者の僕には、パラ種目の魅力に触れるために最高の環境であった。こんなに面白い大会は無いと思う。

その中でも僕が一番応援していたのは、ウィルチェアーラグビー。
同い年で同郷の三阪がコーチになっているだけでなく、これまでも合宿を見学させてもらったり、一緒にイベントに出たりしてきた。特に、池崎さんの本気のタックルを体験した時には、とても驚いた。交通事故のような衝撃で、暫く心臓の鼓動が収まらなかった。それ以外にも、選手と触れ合う中で、人間性の素晴らしさも実感し、一気に大ファンになった。

僕は、この競技を観る上で大事にしていることが一つある。
彼らは、頚椎損傷などで、人生に一度絶望した経験がある。
ある人は、何度も自殺したかったが、それさえもできないぐらい体が動かなかったと言っていた。僕らの想像を遥かに絶する。
様々なサポートを受け、病気や怪我を受容して、前を向く。その後、とてつもない努力をして、日本のために戦ってくれているのだ。

だから、今回リオに行って実際に試合を見ることができることが楽しみで仕方なかった。

試合が始まると、ラグビーの国際試合と一緒であった。フィジカルにやりあう。ギリギリのプレー。気迫。とても興奮した。
また、会場の雰囲気も選手を後押しする。
アリーナの音楽とブラジル人の気質。
陽気な彼らは、音楽に合わせて、踊る、声を出す。一気にボルテージが上がる。
エンターテイメント性もあり、とても面白いと感じた。

リーグ戦のスウェーデン、フランスに順当に勝利し、アメリカ戦では、延長戦の末惜しくも敗退。2位で予選通過して、準決勝のオーストラリアと対戦。
いよいよメダルをかけた戦いにワクワクしたが、どこかちぐはぐで敗戦を喫する。3位決定戦に回ることになった。
そして、いよいよ迎えた決戦の日。前回のロンドン大会では4位。同じ歴史は繰り返せない。とても緊張感が増す。
でも、心配は無用であった。
第一ピリオドで、4点のリードをいきなり奪う。
そのままの流れで、進む。その後も終始落ち着いて完勝であった。
皆の努力が報われた歓喜の瞬間。
選手が抱き合う。泣く。ふと三阪コーチを見たら、号泣していた。
もし一人で見ていたら、僕も絶対に泣いていた。
試合後に一言だけ話ができた。「歴史変えましたよ。」
最高に格好良かった。本当におめでとう。
最高の瞬間に立ち会えて、僕も幸せだった。ありがとう。

他にも色々と感じることがあった。片腕がない選手が、きれいに走っている。
僕も早朝のランニングで試してみた。片腕を固定したら、上手く走ることができなかった。もし無理やり走ったとしたら、どこかに筋肉の張りが出ることは間違いない。
バランスが崩れた体を使いながら、いかにバランスを整えて走るのか、未知の領域である。
他にも、目をつぶってトイレまで歩くことを試して欲しい。
そういった状況の中で、ブラインドサッカーはプレーされている。
彼らは本当に超人である。改めて人間のタフさと可能性を感じた。

そして、これから。
パラリンピックの終わりと同時に次へのスタートが始まった。それぞれの種目で、どう継続的に強化するのか、非常に興味深い。これは各団体だけの責任にはできない。国家としてどう取り組んでいくのかが大事になる。
今回金メダル0個の日本に対して、中国は107個。
この差を埋め、そして越えるために、如何に日本のオリジナルを追求できるのかが重要になってくる。4年間は、あっという間に過ぎる。

リオ パラリンピック観戦レポート 「パラの歓喜と未来」 廣瀬 俊朗 [ラグビー選手]

その時に、とても大事なことがある。
日本でどこまでパラ種目が浸透しているのか。皆に知られるほど、選手のモチベーションは上がる。色々な関係各所にも良い意味でプレッシャーがかかる。
だから、ここからの普及活動が一つのキーになる。
僕は、様々なスポーツを観てきた元アスリートとして大きな任務を背負ったと思っている。現場にいた人間としてスポーツの魅力を発信していきたい。

最後に、今回のオリパラの競技になっていないスポーツが沢山あることを認識する必要がある。オリパラだからサポートするのではなく、あらゆるスポーツを選択でき、それぞれに居場所がある国。それこそが日本を豊かにすることに繋がる。現実的な問題は多々あると思うが、少しずつ進歩していきたい。


廣瀬 俊朗(ひろせ としあき)

1981年生まれ。
5歳のときにラグビーをはじめ、U19日本代表、高校日本代表に選出される。
東芝では主将に就任し、トップリーグプレーオフ優勝を果たす。
2007年に日本代表入りし、2012年にはキャプテンとして選出された。
2015年のラグビーW杯では日本代表史上初の同一大会3勝に貢献。
現在(株)東芝に勤務しながら、ラグビー普及活動、社会貢献に取り組む。

情報提供:毎日新聞社
20161111

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