リオ パラリンピック観戦レポート「リオから東京へ」 伊藤 華英 [水泳選手]

2016.11.11
リオ パラリンピック観戦レポート「リオから東京へ」 伊藤 華英 [水泳選手]

心に残ったパラリンピックだった。

リオデジャネイロで行うオリンピック•パラリンピックは治安の問題や、インフラなどの前評判に不安を感じていた。
「どんなことがあっても開幕日はやってきて、選手たちは4年間の思いをぶつける場所だから、開幕に間に合わないなんてことはない」と考えていた。

オリンピックは最高に盛り上がった。日本のメダル数は過去最高の41個。チームジャパンのトップバッターで行われたサッカーは黒星発進。少々不安は覚えたが、開会式を終えて競泳、柔道と頼もしい結果だった。競泳の初日は日本競泳界のエースとして成長した萩野公介選手が400m個人メドレーで金メダル獲得。やってくれた。しかも、メルボルンオリンピック以来60年ぶりのダブル表彰台という偉業だ。チームジャパンのバトンを繋ぐには、1番目にどんな結果を出すかが重要な要素となる。バトミントン女子ダブルスでも金メダル、卓球も素晴らしい試合内容で、一喜一憂せずにはいられない内容だった。テニス男子シングルスでは、錦織圭選手が96年ぶりのメダル獲得。新種目になったラグビー7人制では男子が初戦、あのニュージーランドを破り4位と大健闘した。このように競技から競技へとバトンが繋がる。これが独特な空気感だ。このように、チームジャパンとして、数々の名シーンが生まれた。
今回なんといってもこのバトンが、パラリンピックまで繋がったように感じた。結果としては、金メダルゼロだった。しかし、パラリンピックのメダル数がここまで注目されたのは、確実に東京2020が2013年にブエノスアイレスで決定したことが影響している。
リオの1つ前のロンドンオリンピック•パラリンピックでは、「THANKS FOR THE WARM-UP 」とオリンピックが終了してから,町中にこのような広告が張り出された。またパラリンピック選手のことを、「SUPER HUMANS」と称えた。このような広告戦略などが、パラリンピックの価値、知名度を向上させた。
ロンドン大会の背景から、今回のリオは、比較的落ち着いた雰囲気で行われるのかと予想していた。ところが、1番助けられたと感じたことは、市民や観客の明るさや、元気のよさだった。水泳会場やテニス会場で、「Quiet Please」と電光掲示板に出るほど、白熱した雰囲気だった。テニス会場などでは、騒ぎ過ぎなどと言われていたが、それよりも観客が障害者スポーツの価値を更に高めてくれたと思う。やはり、選手と観戦者の一体感は東京大会でも心がけるべきポイントなのではないかと感じた。ブラジルの英雄の競泳選手が出場した時は、地響きとも感じられるほど、床を叩き、会場が盛り上がった。しかし、盛り上がるのは自国選手だけではない。その盛り上がりから、「ブラジルの選手が出場するのかな?」と思うと、全く他国の選手であったりしたこともあった。英語を話せる市民が少ない印象だったが、リオ市民の明るい性質に随分と助けられたのは間違いないだろう。彼らの声援が会場に花を添えた。そして、パラリンピックは盛り上がった。小さな子どもたちが大きな声で応援している姿も、微笑ましく思い出に残った。

ノンフィクションライターの松瀬学さんが、リオ市民の笑顔は「おもてなし」だったのではないかと話されていた。私は、ハッと気がついた。完璧な準備や気遣いだけではなく、日本人の笑顔もおもてなしになるのだと気がついた。日本の誇るべき習慣である、お辞儀をしたり、お礼をしたりする文化がさらに世界で飛躍するためには、国際ルールを知る必要もあると感じる。リオ大会もロンドン大会にはなかった長所があったし、素晴らしい大会になったが、東京大会は更に進化を遂げて素晴らしい大会になるだろう。

リオ パラリンピック観戦レポート「リオから東京へ」 伊藤 華英 [水泳選手]

更に、テクノロジーという面でも、世界にアピールできると期待している。特にパラリンピックにおいては、義足や義手、車椅子など様々な器具を使いこなすアスリートの能力にも注目されるからだ。自動車メーカーも参入してきている。また、相手に対して「私はあなたの敵ではありません」という意味の笑顔が海外では当たり前だったりする。会った人に、笑顔を見せる。人に嫌な思いをさせないないなど、小さな部分でも、日本の変化を見られたらと感じる。
日本人の特徴として、「熱しやすく、冷めやすい」。東京大会が2020年に行われることがゴールではない。この長い準備期間も、いざ本番が始まってしまったら、オリンピック•パラリンピックを含めて約1ヶ月であっと言う間にフィニッシュを迎える。レガシーは何なのか。
スポーツの概念は「する、みる、支える」であると、文部科学省で定義されている。トップアスリートの競技力向上を目指す競技型スポーツと、スポーツを楽しむ人・行う人に焦点を当てた参加型スポーツ。スポーツ実施率の問題は意外と競技力向上に相関があるのではと感じている。障害者スポーツは特にその傾向がある。施設がなければ、運動を出来ないからだ。
全ての人がスポーツの価値を感じられるようになることを東京では期待したい。


伊藤 華英(いとう はなえ)

1985年生まれ。
ベビースイミングから水泳を一、15歳で初めて日本選手権に出場。
2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックに出場。
2012年に現役を引退後は、水泳とピラティスの素晴らしさを伝えるのと同時にスポーツの発展、価値向上のために活動中。
2014年3月早稲田大学大学院修士号取得。現在は、順天堂大学大学院健康科学科博士課程。

情報提供:毎日新聞社
20161111

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