放課後BEYOND

ウィルチェアーラグビーをもっと知るために、連盟にお邪魔しました!

こんにちは!放課後BEYONDに所属している高校三年生のりなこです!

今回は、もっとウィルチェアーラグビーを知るために、日本ウィルチェアーラグビー連盟の福井さん、竹城さんにお話を伺いました。

まずお二人の経歴を簡単に紹介したいと思います!

○福井正治さん
日本ウィルチェアーラグビー連盟強化本部・コーチ、財務委員兼大会運営委員を務めている。福井さんは四肢障がいを持つ今も現役のウィルチェアーラグビー選手である。

○竹城摂子さん
元々一般企業に勤めていたが、ウィルチェアーラグビーの迫力に心を掴まれ連盟のボランティアを始める。今は事務の仕事全般をほとんど行っている。

今回、私がこのお二人に取材をしたのは、支える側の視点を知り、そして伝えたいからです。支える側は目立たず、試合を見ている観客は選手にしか目がいかない。でもその試合には多くの人が関わって、支えているから成り立っていることを選手は知っています。だからそれを私たち観客も知らなくてはいけないと感じたためこの記事を書かせていただきました。

■ 元々勤めていた会社から、現在の仕事へつながることはありますか?

竹城さん:「実際に連盟の仕事をしてみると、仕事の内容としては全く違うのに、共通するところが沢山あって、仕事って同じなんだなと思いました。」

とおっしゃっていて、やっぱり仕事というものは根底で繋がっているんだと感じました。

■ 今のお仕事はどんなことをされているのですか??

竹城さん:「Facebookの更新、スケジュールなどの調整、保険関係、通訳など様々な仕事を担当しています。」

このお話を聞いて、多い!と率直に思いました。

福井さんも竹城さんが居なくなったら困るとおっしゃっていて、居なくては困る存在っていいな、私も“居なくちゃ困る!”みたいな存在になれればいいなと思いました。

■ 支える側から見てウィルチェアーラグビーを見る時注目してほしいところはなんですか??

竹城さん:「激しい競技なので、ハイポインターが点を入れたり、動いて車いす同士が当たったりする所がやはり目立つけれど、そうじゃないローポインターの動きにも注目してほしい。目を引かない選手の動きって言うのも実は勝敗には凄く影響がある。」

なるほど、、。確かに激しい競技は動きを追いたくなってよく動く選手に注目しがちですが、その動きもローポインターのディフェンスのお陰であって、どう止めているかなどに注目するのも新しい見方なのかもしれないと感じました。

■ どうしてウィルチェアーラグビーに関わることになったのですか??

福井さん:「僕は22の時にオートバイの事故で、障がいを持つようになったんですけど、陸上競技を車いすの先輩からやらないかと言われて、、やり始めたんですね。短距離からフルマラソンまでやるようになって、ホノルルマラソンに出たりとかして(ベストタイムは2h20mだそうです!はやいっ!)、そういうのをやりながら、パラリンピック(バルセロナパラリンピック)の出場を目指してやっていたんですけど、国内大会で選考にもれた。でもオリンピックもパラリンピックも選ばれた人しか行けないなあという所があって、、。
で、僕は陸上と並行してツインバスケット(四肢に障がいがある人のバスケットボール)をやっていたんですね。そこでパラリンピックとかではなくもっとオープンな海外のマラソン大会に出ようよと話していたんです。そして、フロリダに同じレベルの障がいの人たちと行って、行くにあたってクワドラグビーという競技のクラブチームに少し体験できるようにスケジュールを組んでもらって、ああ、こういうスポーツもあるんだね〜と言っていると、2000年のシドニーのパラリンピックで正式種目になると聞いて、じゃあ日本も組織を立ち上げてそれを目指していこう!っていうことで僕は選手として参画するように。それが一番最初ですね。」

このお話を聞いた時は驚きでした。まずこの競技を日本に持ってきた方とお話していたということ。え、そこから始めたのですか!?ということ。マラソンの大会のためにフロリダに行って、そこで出会った競技を日本で組織を立ちあげるところから始めて、パラリンピックに参加できるまでにするって並大抵の努力じゃできないし、とても驚きました。そんな凄いことをされてるのに、お話されてる姿は落ち着いて、淡々と冷静に話されてる姿を見て、やっぱりこういう方だから周りの方もついて行こうって思えたのかなと同時に思いました。

■ ウィルチェアーラグビーがパラリンピックに出るまでどんな道のりだったか教えていただけますか??

福井さん:「最初はルールも何もわからないから、ルールブックを取り寄せて勉強しようとしました。でも、やっぱり現地に行って体感した方が良いという話になって、遠征をするようになって。ルールの理解も完璧じゃなかったから、今では考えられないようなミスもいっぱいやったし、一度遠征に行くと、30万、40万費用がかかるのですが、一勝も出来ずに泣いて帰ってきたりとか、大変な経験を2年くらいやりました。そしたら段々人が増えて行きました。パラリンピックに出る為にはランキングを上げないと出られないということで、どうしたら日本のランキングが上がるか一生懸命考えました。世界選手権で8位以内にならないとパラリンピックには行けないことは分かっていたので、シドニー大会を目指しました。ただ、その時は環境が整わず出場出来なかったので、次にアテネ目指すことにしました。合宿、遠征を重ねて、2002年の世界選手権で8位に入った。晴れてアテネに出場出来ることになったんです。とにかく、前しか見てないっていう感じだったね。」

りなこ:「何がここまでさせたのでしょうか」

福井さん「それはみんなだよね。」

この一言。みんなのサポートがあったからこそと心の底から言えるくらい周りも福井さんも一丸となってやっていた事がひしひしと伝わりました。出場の地域さえなくてハードルの高い世界選手権8位以内、いろんな壁と問題が山積する中で掴んだアテネ出場がどんなに嬉しかったか想像してしまいます。

■ 決めるとしたら一番いつが大変だなって思いましたか??

福井さん:「アテネの時障がいの点数を七段階に分けられるんだけども、その点数が変わっちゃったんですね。大会の期間中に。今はもうそういうことはないんですけど、だから今までやったバリエーションとかはほとんど出来なかった。中には出場すら出来ない選手がいてまあたいへんでしたね。その時僕は選手であったし、キャプテンであったし、強化委員長っていうの全部やってたので、立場を変えながら色々やったんだけども、あの時はほとんど眠れない日々が続きましたね。たまたま僕と同室の子は点数がつかなかった(3.5点を超える選手は出場不可)し、しんどいの一言でしたね。今はもうこういうことはありませんが。」

高いハードルを超えていざ出陣という所でのハプニング。どんなに憤りを感じたか、同じ風に感じることは出来ないけれど、想像しただけでも恐ろしいものでした。
日本代表として、アテネまで来て、ここで出られないと告げられる。その告げられた選手の思いはもう誰にも分からない複雑で言い表せない思いだったことでしょう。選手とクラスファイヤー(障がいの点数を決める人)の関係性、この仕組みの公平性とは何なのだろうと考えさせられました。

■ お二人に話をお伺いして感じたこと。

今回、私は連盟のお二人に取材させて頂きましたが、やっぱり人間独りじゃ生きられないし、何も出来ない、と感じました。

竹城さんの「私、個人競技であっても一人でやっているものではないと思うんですよ。それをサポートするためにはコーチなり、トレーナーなり、用具の面倒を見てくれる人がいて、闘っているのはみんなチームで闘っていると思うんですね。」、そして福井さんにウィルチェアーラグビーを日本に持ってくるモチベーションは何だったのかお聞きした時の「それはもうみんなですよ」という言葉。
本当に“みんな”なんだな、と思いました。
無意識にチーム競技と個人競技を分けて解釈していた自分が恥ずかしくなったし、自分もスポーツでなくても、ほんとにいろんな人に支えられているな、って感じるからチームで戦っている、みんなで戦っているという風に考える事で、次に個人競技を見るにあたって変わってくるのかなとも思いました。

今回の取材でウィルチェアーラグビーに半歩くらい近づけたかなと感じています。こんな知識の薄い私を快く受け入れて下さった福井さん、竹城さん本当にありがとうございます。

まだまだ深いウィルチェアーラグビー、もっと試合を見て、渋い観客になれるくらいになりたいなと思います。読んでくださった皆様も、ウィルチェアーラグビーに少しでも興味をもって、あわよくば試合なんか見に行ってくださったらとても嬉しいです!
読んでくださってありがとうございました。


<放課後BEYONDとは>

2020年にハタチになる高校生や、新社会人となる大学生など、未来を担うTEAM BEYOND学生メンバーが放課後に集まり、パラスポーツについて学んだり、実際に体験したりしながら、同世代に向けて発信していくプロジェクトです。学生の声で、パラスポーツの魅力を発信していきます。

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