第5回「パラアスリートの魅力に迫る!福岡へのJK弾丸取材!!」
まことプロフィール
1999年生まれ
■放課後BEYONDに参加した理由:
色々な人が参加できるパラスポーツが楽しそうで面白そうだったから
■未来の東京が、こんな風に変わったらいいな:
高齢者にも子供にも障がい者にも、どんな人にとっても住みやすい街
万能一心。
何をするにも心を集中しなければならないこと、どんなことがこなせても真心が欠けていれば何の役にも立たないこと。
これは今回私が取材をさせて頂いた小宮正江選手の2017年の抱負だ。
小宮正江選手はゴールボールと呼ばれるパラスポーツの選手でアテネ、北京、ロンドン、リオと四大会連続でパラリンピックの日本代表選手として出場したスーパー選手だ。
そんなゴールボールの第一線で活躍し、先駆者でもある小宮選手に取材をすることとなり、しっかりと真心を持って取材をしようと決め、私は東京から福岡への飛行機に乗り込んだ。
最初に
当日、福岡の天神にある(株)アソウ・ヒューマニーセンター シーズアスリートにて初めて小宮選手にお会いした。
第一印象は『笑顔が素敵な人』だった。
小宮選手の所属するシーズアスリートがどんな所か、どんな方がいらっしゃるのか検討もつかず、とても緊張していたがその緊張は小宮選手にお会いした瞬間に消え去った。笑顔で挨拶をしてくださり、その明るさに驚くとともに小宮選手のことをもっと知りたいと強く感じた。
小宮選手が考えるゴールボールの魅力
小宮選手が考えるゴールボールの魅力とは、
『全ての人と同じ条件で戦える』
ということ。音だけの世界でコミュニケーションを取り合い、見えてない中での駆け引きが面白い。
努力したら努力したぶんだけ成長できて、上手くなれる。
網膜色素変性症を小学校2年生で発症し、視力は少しづつ落ちていく。その後は大好きなスポーツをどれだけ頑張って練習しても上達することはなかった。しかし、ゴールボールに出会い、初めて自分が競えるスポーツを見つけた、と言っていた。
日々の練習
「毎日体育館に行き、練習をする。ジムに行ってトレーニングをする。」個人の反復練習が主で何回も同じ動きをして体に染み込ませることが一番早く上達する方法らしい。ボールを転がすフォームにしても、守備のフォームにしても目が見えない状態で判断するのは難しい、だから勝手に体が動くくらいに練習すれば判断する前に行動することができる。
コツとしては、投げたボールがどこに行っているのかを考えて声に出し、一投ずつ確認することだという。そのように分析することで自分の感覚と実際の行き先を一致させることができ、コントロール力がつくと小宮選手は語る。
そうゴールボールの話をしている小宮選手は楽しそうで、キラキラしていて、本当にこの競技が大好きなのだなと感じた。
そして同時に、それほど夢中になれるものを持てる羨ましさも感じた。
引退と復帰について
小宮選手は2013年に一度引退したが、2016年に復帰している。
そのことについて意思と決断を聞いたところ、
引退を決意したのは
“何がチームを成長させられるのかを一番に考えたから”
自分が去ることでよりチームとして成長できるのではないか、と思ったと言う。
100%力を発揮できていない選手たちと同じコートに立つことで刺激を与えたい、自分がコート内外で培ってきた経験や知識を次世代に伝え残したいと言っていた。
でも、一度引退して選手を支える側に立ったことで、今まで支えてくれていた人の大切さに気づくことができたと言う。
パラリンピックでの経験
やはり一番印象に残っている試合というのは金メダルを獲得したロンドン・パラリンピック。世界一になれた時の感動は忘れられないと言っていた。
メダルを触らせていただいたが、思っていた以上に大きくて、重かった。いたって普通のコメントだが、これが金メダルの重みだ!!超かっこいい!!と感じた。
取材の中で一番印象に残った小宮選手の言葉は、“負けた悔しさが原動力になる”という言葉だ。
アテネでも北京でもリオでも金メダルは取れなかったが、その悔しさが次につながると信じている。そう語る小宮選手の言葉には世界の舞台に立ったからこそ生まれてくる強い力があった。
2016年リオ・パラリンピックで行われた対中国戦は延長戦までもつれ込み、最終的にエクストラ・スローという、いわゆるサッカーのPK対決のような状態となった。
そこでなんと小宮選手は相手のゴールを防いだだけでなく、自らゴールを決めて試合を次につなげた。
“ここで決めずにどこで決める”
あの瞬間の覚悟をそう小宮選手は語っていた。さらに、“あの時は緊張とかじゃない、やるぞっていう気持ちだった”と言う小宮選手の力強い姿は今でも覚えている。
取材の最後に
「自分の限界に挑戦し、チームの勝利に貢献できればと思っています。もちろん金メダル獲得を目指します。」取材の最後をそう締めた小宮選手は、堂々としていてアスリートとしてだけでなく人生の先輩として、かっこいい。素直にそう思った。
突撃取材
アットホームな雰囲気のオフィス。たまたま現地にいらっしゃった女子ゴールボール競技の浦田選手と男子車いすテニス競技の川野選手にも取材することができました。
浦田選手の考えるゴールボールの魅力は見えないことが強みだということ。
また、
“人生のゴールはメダルではなくて、その先に続く人生において自分を磨いていかなくてはならない、それが人生のゴール”
と、ゴールボールと仕事との両立の大切さを語った。
一方、川野選手は事故後のリハビリで思うように動かない体と向き合う中、入院中に同じ障がいを持っている人が車いすテニスをイキイキと楽しんでいる姿を目の当たりにしたことがきっかけであったと言う。
二人とも明るくにこやかだったが、小宮選手と同様に芯を持っていて強いものを感じさせるどっしりとした方々だった。
シーズアスリートって?
(株)アソウ・ヒューマニーセンターが共生社会づくり及び障がい者雇用の促進と障がい者スポーツの振興と発展を目的として設立。
私が思い描く共生社会というのが実現していた空間だったのが一番の印象。
部屋には段差がなくどんな人でも簡単に移動ができるデザインだった。障がいを持つ人もそうでない人も同じように仕事をして、時に助け合う、お互いを分かち合っているそんな場所だった。
右から
ゴールボール男子強化指導スタッフ 工藤 力也さん
男子車いすテニス選手 川野 将太さん
女子ゴールボール選手 浦田 理恵さん
女子ゴールボール選手 小宮 正江さん
ゴールボール体験
怖い。真っ暗な世界の中で聞こえてくる音を頼りに、向かってくるボールを止める。
来るのかな?と思った瞬間、体に突撃。ボールは硬くて痛い。
小宮選手、浦田選手、二人とも軽やかに大きく踏み出してボールを転がし、ためらいもなくディフェンスをしていた。見ているだけじゃ全然ハードに見えない。ボールも柔らかそうだった。
でも一度ゴーグルをつけてコートに立ってみると一歩踏み出すことから勇気が必要だった。体験しなければわからなかったゴールボールの大変さを実感した。
それでも音に集中してボールの軌道を想像することが楽しかった。
視覚という90パーセントの情報を得られる情報源が遮られていることで、より音を感じることができた。
小宮選手や浦田選手の声がよりはっきりと聞こえる。声って優しい。声の温もりに気づくことができた。
小宮選手や浦田選手が、取材で言っていた、音の世界で感じられるチームの駆け引きの楽しさを実際にプレーすることでわかった気がする。
私の声はどんな風に聞こえているのだろう?
最後に
取材の中できっと失礼な質問もしてしまったと思うが、小宮選手がおっしゃった、
“人と人は自分のことを話さないとわからないし聞かないとわかり合えない。
どうなんだろう?って思うことをそのまま聞くことで気づきがあるはず“
という言葉が私の勇気となった。
小宮選手をはじめとして、シーズアスリートの方々は、また会いたい、と思わせる人格の方ばかりだった。取材を受け入れて、福岡に呼んでくださったことへの感謝として私ができることというのは、
私がこの記事を共有し、体験したものを書いてゴールボールをはじめとする選手の方々が頑張っている姿を発信していくことだと考える。
輝く選手の姿が、今、障がいを持ち苦しんでいる人々の希望の光になって欲しい。
2012ロンドン・パラリンピック金メダルと同じ感動を2020で。
きっとこれからよく言われるようになる言葉だ。でもメダルや試合結果に関係なくアスリートとして頑張る彼女たちの姿を私はただただ追い続けて応援したい。もっと彼女たちの頑張りを、魅力を広めたい。
だから私にとっての2020での夢は、
小宮選手をはじめとする“選手の魅力”をたくさんの人が知った上での感動を2020で。