放課後BEYOND

パラスポーツを知ること、その先に。

バイト先の先輩の手帳の中にあったのは、車いすに乗る男の子の写真。「私の弟、車いすバスケ、してるんだ。」そう話す彼女は、どこか誇らしげだった。

今回私が取材したのは、2017年車いすバスケットボールU23代表にも選ばれた塩田理史選手のお姉さんである、塩田清花さん。パラスポーツをやっている人が身近にいる塩田さんにとってのパラスポーツってどんなもの?という問いをぶつけてみた。

■理史選手ってどんな選手?

理史選手は生まれつき「二分脊椎症」という、背中の脊髄が二分し下半身が不自由になる病気を患っている。同じ病気を患っている人の中で相対的に重いほうではないが、足は変形し、足の感覚は薄く、まっすぐ歩けない。普段は車いすに乗るほどではないそうだが、装具を使用して歩行している。
理史選手は中学三年生の時にたまたま声がかかり、人とのつながりが楽しくて車いすバスケを始めることになった。みんなから「さとちゃん」と呼ばれ、年上からよくかわいがられる性格だそう。所属するチームに日本代表を経験した選手がおり、日本代表に憧れた理史選手は、2017年にU23日本代表に選ばれ、現在は2020年の東京パラリンピックを目指して頑張っている。

塩田さんにとって理史選手は弟であり、「障がい者だからかわいそう」という考えは持っていない。確かに理史選手はスポーツが好きで、中学の時は「野球部に入りたい」と思っていたそうだが、それはできない。このことに関しては残念だとは思ったそうだが、決して理史選手が障がい者だからというわけではなく、「アイドルになりたくてもなれない」という感覚だったという。

■東京パラリンピックという舞台

パラリンピックは障がいのある人しか出ることができない。車いすバスケにも、障がいのレベルによって点数がつけられて、点数の上限によって公平にチームが組まれるようになっている。パラスポーツは確かに障がい者と健常者の区別がなされているかもしれないが、それは差別ではない。
塩田さんは将来福祉に関する仕事に携わりたいそうで、東京都のパラスポーツの普及に関する運動にかかわったことがあるそうだ。「子供が興味を持てば、周りの大人も興味を持つ。」ボッチャなどの親しみやすいパラスポーツを東京都の小学校で行うなど、子供からパラスポーツの輪を広げる取り組みである。
パラスポーツが東京パラリンピックという舞台に向かって盛り上がることで、パラスポーツを知り、触れる機会が増える。障がいがあるかないか、入り方はその区別だけでいい。「スポーツは競技が何であろうと、さらにはオリンピック、パラリンピックも関係なく、その人の人生を豊かにするために行うものだ」と塩田さんは言う。
パラスポーツという狭い視点で考えていたが、そもそもスポーツというものがどういうものなのかを塩田さんは教えてくれた。

■「手段」としてのパラスポーツ

医療の発達する現代。出産時にたとえ障がいを持っていたとしても、医療によって死産になる可能性は低くなってきている。つまり障がいを持って生まれる子は増えてきている。また今は出生前診断で二分脊椎症をはじめ、様々な障がいに関して、生まれてくる子供がどんな障がいを持つことになるかを診断できる時代になった。「自分の子供が障がいを持つとわかったら?」我が子の生前診断で障がいに初めて向き合うことになった親には、もしかしたら「生まない」という選択肢も出てくるかもしれない。そこには障がいを持って生まれることで、健常者のように人並みの幸せを掴むことは簡単ではないことになるかもしれない、という親の思いがある。「自分は生まれてくる子を幸せにできるのだろうか?」という不安。生まれてくる子を幸せにすることは、親が一番に考えることだ。塩田さんも「自分の子供が障がいを持って生まれたら?」と考えることがあったという。
しかし障がいを持つ理史選手が車いすバスケを通して毎日頑張っている姿を見ている塩田さんは、パラスポーツという「幸せになるための手段」があることを知っていた。
「理史が身近にいたことで、パラスポーツを通して障がいを持つ子が幸せに生きていることを私は知っているけれど、知らない人は『将来この子を幸せにできるのか?』という問いに自信を持って肯定することができないかもしれない。その結果として生まないという選択肢を選ぶかもしれない。でも、もしパラスポーツの認識が広まったら、私のようにパラスポーツを通して幸せに暮らすことのできている障がい者を知っていたら、自信を持つことができるかもしれない。そのためにも、パラスポーツをみんなに知ってもらいたい。」という。
「幸せになるための手段」としてのパラスポーツという新しい認識に感動した。パラスポーツの認識を広めることが、何につながるのか。はっきりと見えた気がした。

■パラスポーツの未来

「幸せになるための手段」としてのパラスポーツ。障がい者にとって大切なものだ。しかしながら、パラスポーツは誰もが気軽にできるわけではないという。
理史選手が車いすバスケをしている岡山県には車いすバスケを行うための施設は数か所あるが、施設の一つは片道でも一時間弱かかる遠い場所だという。地方は交通手段も少なく、理史選手のお母さんが車で送ることが多いが、免許を持つ選手が乗せてくれることもあるそうだ。しかし両親ともに忙しい家庭だったとしたら?それだけではなく、金銭面にも苦労が多くなる。
パラスポーツを知ってもらうことはもちろん大切だと思う。しかしながら、知ったうえで私たちができることは何だろう?パラスポーツが私たちを豊かにしてくれる時、障がい者にとって大切な「手段」のパラスポーツを多くの人が応援し、支えていく必要があるのではないだろうか。

■取材を終えて

パラスポーツを通してたくさんの出会いがあり、またパラスポーツをすることで周りの人に影響を与えていく。理史選手も車いすバスケを通してたくさんの出会いをし、塩田さんもその理史選手にたくさんの影響を受け、出会いもした。今回の取材も、塩田さんとこうして話したのも理史選手のおかげだ。
私たちがパラスポーツを知ることが、そもそも何につながっているのか。パラスポーツと一言で表すものの先に、私たちにとってだけでなく、障がい者の未来があるということを考えなければならないだろう。言い方によって大げさに聞こえてしまうかもしれない。けれども、スポーツが、パラスポーツが、人生の中で「幸せ」だと思う瞬間をつくっているということをまずは知ってほしいと強く思った。


<放課後BEYONDとは>

2020年にハタチになる高校生や、新社会人となる大学生など、未来を担うTEAM BEYOND学生メンバーが放課後に集まり、パラスポーツについて学んだり、実際に体験したりしながら、同世代に向けて発信していくプロジェクトです。学生の声で、パラスポーツの魅力を発信していきます。

20180820

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