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平昌パラリンピック注目選手 ~女子アルペンスキー編~

2018.03.11
平昌パラリンピック注目選手 ~女子アルペンスキー編~

ソチから4年、エースとして平昌に臨む村岡桃佳(早稲田大)=2018ジャパンパラアルペンスキー競技大会:撮影/植原義晴

冬季パラリンピックの花形競技・アルペンスキー。2014年ソチ大会では、滑降とスーパー大回転の2冠を達成した男子座位の狩野亮(マルハン)や、回転で金メダルを獲得した鈴木猛(KYB)ら男子選手の活躍が目立ったが、今大会は女子にも注目したい。

日本からは、座位の村岡桃佳(早稲田大)と立位の本堂杏実(日体大)の2名が出場する。村岡はソチ大会に続いて2度目のパラリンピック出場、本堂は初出場となる。日本における女子選手の数は男子と比べて少ない。ふたりは関係者や男子の先輩選手たちの厳しくも温かいサポートを受け、成長を続けてきた。実は同い年のこのふたり、遠征先などの宿では同部屋で、普段から仲が良いと聞く。ふたりはそれぞれ相手の存在を「心強い」と語っており、ともに支え合いながら、4年に一度の世界最高峰の舞台に臨む。

平昌パラリンピック注目選手 ~女子アルペンスキー編~

レース後、時折笑顔を見せながら話し込む村岡(左)と本堂=2018ジャパンパラアルペンスキー競技大会:撮影/植原義晴

ソチから4年、エースへと成長した村岡桃佳

村岡は1997年3月3日生まれ。4歳の時に横断性髄膜炎を発症し、以来、車いす生活を送る。もともとスポーツ好きの村岡は、父親と参加したチェアスキーの体験会で、ゲレンデを疾走する爽快感に心奪われ、中学2年から本格的に競技を始めた。

この時、すでに世界を主戦場に活躍していた森井大輝(トヨタ自動車)や狩野らから、チェアスキーの扱い方、メンタル面の調整や用具のケアに至るまで、丁寧に指導を受けると、ぐんぐん吸収し、成長。村岡の強みは、まさにこの世界トップレベルの先輩たちから教わった高い技術だ。

キレのあるカービングターンを武器に、高校2年で出場したソチパラリンピックでは大回転で5位入賞。レース直後ながら、「先輩たちのような滑りがしたいという思いがより大きくなりました。スキーの練習がしたいです」と話していたのが印象的だ。そして、その言葉通り、村岡はよりスキーに情熱をかけるようになる。

高校卒業後は、早稲田大学の門を叩き、トップアスリート入試でパラスポーツ選手として初めての合格者となり、入学を果たした。1年のうち、約半年をワールドカップ(W杯)や合宿などのため海外で過ごすなか、大学の単位取得はオンデマンドを活用し、競技との両立をはかっている。

そんなハードな日々を送る村岡だが、レース後に本堂と会話をしている時は、笑顔が絶えない。緊張感から解放され、リラックスしている様子が伝わってくる。こうした時間を共有できる友がいることも、アスリートにとっては大事なことなのだろう。

今季は悪天候の影響で一部のW杯がキャンセルになるなどしたが、出場した大会では大回転、回転、滑降、スーパー大回転などで表彰台にのぼっており、好調さがうかがえる。”エース”として臨む平昌でとくにメダル獲得が期待されるのが、得意の大回転だ。今年1月からは風の抵抗を減少させる「カウル」を大回転でも使い始めるなど、道具にも工夫を凝らし、「本番までに滑り込みたい」と話していた村岡。準備万端で2度目のパラリンピックに挑む。

平昌パラリンピック注目選手 ~女子アルペンスキー編~

ラグビーで培った脚力を活かし、攻めるスキーを目指す本堂杏実(日体大)=2018ジャパンパラアルペンスキー競技大会:撮影/植原義晴

待望の女子立位スキーヤー!本堂杏実

1997年1月2日生まれ。先天性全左手指欠損という障がいがあり、女子では少ない立位の選手として注目を集めている。実は本堂は、日体大スキー部だけでなく、ラグビー部にも籍を置くアスリートだ。父親の影響で5歳からラグビーを始めてから、小・中・高校と女子ラグビー一筋。高校3年の時には18歳以下の日本選抜にも選出された経歴を持ち、日体大に進学したのも、「ラグビーで日本一になるため」だ。

だが、その大学で思いもよらない出会いがあった。大学1年の冬に大学関係者を通してパラリンピック競技への挑戦を打診されたのだ。陸上という選択肢もあったが、かつてファミリースキーの経験があったアルペンスキーを選んだのだという。とはいえ、幼いころから取り組んできたラグビーから離れる決断はできない。「正直なところ、迷いがあった」が、2016年夏に競技転向を決意した。

同年10月、パラアルペンスキーチームと一緒に合宿に参加したことが、次のステージに向かうひとつの転機となった。コーチや先輩から丁寧に基礎を教わり、それと同時に世界の頂点を狙う先輩パラスキーヤーたちのレベルの高さに触発された。「本気で平昌を目指してみよう」。11月にクラシフィケーションに参加してクラスが確定すると本格的にレースに出場するようになり、海外を転戦。平昌パラ出場条件の規定をクリアし、日本代表候補の座を射止めた。現在、ラグビー部は休部中だ。

右も左もわからない本堂を「そばで支えてくれた」のが、村岡だという。「1からいろんなことを教えてくれた。失敗して泣いた時も慰めてくれて、優しさも、スキー技術も、精神力も、視野の広さも、本当にすごい。この人は超えられない壁だな…と今は思うけれど、いつか抜けるレベルにいきたいですね」

進化の途中で、尊敬する友と迎える平昌パラリンピック。ここでの経験を、飛躍への足がかりとできるか。異色ルーキーの初挑戦がいよいよ始まる。

20180311

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